ホイットニー・ヒューストンの「オールウェイズ・ラヴ・ユー」

40年前の2月、後にホイットニー・ヒューストンで大ヒットする映画「ボディガード」の主題歌「オールウェイズ・ラヴ・ユー」が生まれた。ヤフー・ミュージックが伝えている。

オリジナルは女性カントリー・シンガーのドリー・パートンが28歳の時に書いた。ドリー・パートンがショー・ビジネスで成功を収める事になったのは、カントリー・シンガーのポーター・ワゴナーの力だった。彼はTV番組「ポーター・ワゴナー・ショー」を持っていた。番組の出演は74年まで7年間続いた。デュエットで「The Last Thing on My Mind」や「Please Don't Stop Loving Me」というヒット曲も生まれた。

しかしドリー・パートンはポーター・ワゴナーの締め付けを嫌って、74年にポーター・ワゴナーとの関係を絶ち独立を発表する。これに対してポーター・ワゴナーは激怒した。噂にはポーター・ワゴナーとドリー・パートンはW不倫だったという話もあった。ポーター・ワゴナーへの別れに書いた歌が「オールウェイズ・ラヴ・ユー」だった。曲を聴いたワゴナーは涙を流し、別れ話は認めるが、レコードのプロデューサーとして参加する事を認めさせた。ドリー・パートンのソロへの旅立ち発表があったのが74年の2月だった。

「オールウェイズ・ラヴ・ユー」はビルボード・カントリー・チャートでは1位になったが、総合のシングル・チャートでは53位だった。

18年後の1992年、「オールウェイズ・ラヴ・ユー」は映画「ボディガード」の主題歌になる。白人のカントリー・ソングを黒人のホイットニー・ヒューストンが歌う。主演のケヴィン・コスナーが見つけてデイヴィッド・フォスターがプロデュースした事になっているが少し違う。歌わせようとしたのは当時のアリスタ・レコードの社長クライヴ・デイヴィス。現ソニーミュージック最高制作責任者だ。

欧米ではレコード会社の制作部を「A&R」という。Artist and Repertoireの略だ。アーティスト・アンド・レパートリーだが、フランスの業界で生まれた言い方なので、普通アーティスト・アンド・レパトアと言う。アーティストを見つけて育成し、ヒット曲(レパートリー)を探すのが制作スタッフの仕事。クライヴ・デイヴィスはサンタナでもロッド・スチュワートでもいかんなくその力を発揮した。

ホイットニーの「オールウェイズ・ラヴ・ユー」はビルボードのシングル・チャートで14週間1位を続けた。94年にはグラミー賞「最優秀レコード賞」に輝いた。いい曲はいつまでも生き続ける。余談だが、エルヴィス・プレスリーはこの曲が大好きでレコードにしようと思ったが、マネージャーのトム・パーカー大佐が(エルヴィスが書いていないのにもかかわらず)著作権印税の50%を要求し、ドリー・パートンは断った。



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