66歳のビリー・ジョエルに娘が誕生

ビリー・ジョエル


ビリー・ジョエルが13日、娘が12日の深夜に誕生した、とツイッターに書いた。

今年7月4日の独立記念日に4度目の結婚を発表した。相手はアレクシス・ロデリック(33歳)という女性。米金融大手モルガン・スタンレーのビジネス・ウーマン。生まれた娘はデラ・ローズ・ジョエル。ビリー・ジョエルにとっては第2子となる。2度目の結婚で最初に授かった娘アレクサ・レイ・ジョエルは29歳のシンガー・ソングライターだ。以下が以前、当ブログの筆者が書いたビリー・ジョエル物語。当時洋楽のレコードを売るメディアはラジオしかなかった。


ビリー・ジョエルは1949年5月9日ニューヨークで生まれた。レコード・デビューは1971年、アルバム「コールド・・スプリング・ハーバー」は全く売れなかった。ソロの前のロック・ユニット「アッティラ」にいたっては誰も知る由もないだろう。

チャンスが訪れたのは1977年。サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」の名プロデューサー、フィル・ラモーンによって生まれたアルバム「ストレンジャー」。78年初頭、シングル「素顔のままで」がビルボード・シングル・チャートの3位になり、アルバムはチャートの最高位2位になった。

当時の日本での担当ディレクターはCBSソニー(現ソニーミュージック)の小野志郎。バーブラ・ストライサンドの「スター誕生」以来ヒットがなかった。上司である筆者とCBSソニーの倉庫をあさっていて、壁にボクシング・グローブ、ベッドの枕の所に仮面というモノトーンなアルバム・ジャケットのLPを見つけた。9月にアメリカで発売されたがヒットになっていなかった。

この年77年の10月、CBSソニーの編成会議に出した。シングルはアメリカでヒットし始めた「素顔のままで」ではなく、アルバムの2曲目である「ストレンジャー」にした。編成会議でもめた。洋楽部の部長である金井浩は大反対した。アメリカでヒットしている、こんなにソフィステケイトされた素晴らしい曲をシングルにしないのは大問題だと。

私と小野は反論した。「かっこよすぎても、イントロのインパクトがなかったらラジオで流れても誰も気にとめませんよ」と平社員の二人は部長に食ってかかった。ピアノのイントロとそれに続く「口笛」。これがなっかたらシングルにする気なんかまるでなかった。小野がつけた「素顔のままで」は洋楽史上に残る名タイトルだがシングルは「ストレンジャー」に決まり、宣伝のボスである大西泰輔がソニーのラジカセのTV-コマーシャルにはめ込んで大ヒットとなった。

間髪入れず来日する。78年の4月23日中野サンプラザ、24日大阪厚生年金会館でビリー・ジョエルの日本での初コンサートが行われた。反響は凄かった。伝説のライブとなる。

翌79年2月、「素顔のままで」は第21回グラミー賞の「最優秀レコード賞」と「最優秀楽曲賞」を獲得する。
78年に発売されたアルバム「ニューヨーク52番街」が初のビルボード・アルバム・チャートの1位になり、80年の第22回のグラミー賞の「最優秀アルバム賞」に選ばれた。

シングル盤をどっちにするかで会議でもめた上司の、後にCBSソニー・ファミリークラブの社長になる金井浩さん。大賀典雄CBSソニー社長とCD(コンパクト・ディスク)規格による全世界で最初の作品をビリー・ジョエルの「ニューヨーク52番街」に決めてくれた。1982年10月1日に発売される。ソニーミュージック静岡工場(大井川)に今でも現物が展示されている。



ストレンジャー

ニューヨーク52番街








プロフィール

洋楽天国

Author:洋楽天国
FC2ブログへようこそ!

スポンサードリンク
最新記事
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
QRコード
QR