ボブ・ディランのチョット面白い話その5

ボブ・ディランがコロンビア・レコードと契約したのは20歳の時。アメリカでは21歳以下なので未成年だ。未成年が交わした契約書は効力を持たない。この初歩的なミスを見つけたのがアルバート・グロスマンだ。当時グロスマンは「アメリカン・フォーク・ミュージックの女王」と呼ばれていた女性シンガー、オデッタのマネージャーだった。剛腕マネージャーとして有名だった。

ニューヨークのクラブ「ギャスライト」でボブ・ディランを見たグロスマンは1枚目のアルバムが出た後、ボブ・ディランにアプローチし、マネージャーになる。そしてこのミスを見つけた。ボブ・ディランはプロデューサーのジョン・ハモンドに契約書の修正を求めると、ジョン・ハモンドはグロスマンの名前を聞き、とびきり汚い人間だと言い、プロデューサーを降りる事になる。財閥ヴァンダービルト家の血を引くジョン・ハモンドには耐えがたかった。

契約書は問題にならないように修正された。この時ジョン・ハモンドがボブ・ディランに紹介したのはコロンビア・レコードの顧問弁護士のクライヴ・デイヴィスだ。既に21歳になっていたボブ・ディランは契約書にサインした。グロスマンは修正された契約書を見て、激怒した。金銭面での条件が全く変更されていなかったからだ。グロスマンの目的は未成年を楯に、契約条件をつりあげる事だった。

モンタレー・ポップ・フェスティバルが終わった頃、コロンビア・レコードの社長になっていたクライヴ・デイヴィスの大仕事はボブ・ディランとの再契約だった。しかしボブ・ディランは66年のオートバイ事故で、生死さえも分からない状況だった。そしてアルバート・グロスマンは「モンタレー・ポップ・フェスティバル」後、クライヴ・デイヴィスがレコード契約を交わしたジャニス・ジョプリンのマネージャーにもなる。クライヴ・デイヴィスにとってボブ・ディランとの再契約は簡単にはいかなかった。


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