ボブ・ディランのチョット面白い話その9

ボブ・ディランは自伝(菅野ヘッケル:訳 ソフトバンク・パブリッシング)」でこう書いている。

「いつも私はラジオで音を探していた。ラジオは私の生活のサウンドトラックだった」

トラデショナルなフォーク・シンガーを目指すボブ・ディランだが、ラジオから流れるポップスを聴いていた。好きだったのはリッキー・ネルソンだ。20歳の頃、ボブ・ディランはミネソタ大学を中退してニューヨークに移る。1961年、リッキー・ネルソンの「トラヴェリン・マン」はビルボード・シングル・チャートで1位になっていた。ボブ・ディランはこう書いている。

「リッキーの声には、たとえ速いテンポで歌っているときでも、特別な音色、なめらかな感触があった。その声は神秘的で、聞いている者を特別な気分にさせた」

そのリッキー・ネルソンの「トラヴェリン・マン」を蹴落としてシングル・チャートの1位になったのがロイ・オービソンの「ランニング・スケアード」だった。

「ダイヤルを回していると、小さなスピーカーからロイ・オービソンの声が飛びだした。新曲の『ランニング・スケアード』が部屋に響きわたる。ロイ・オービソンは、あらゆるジャンルを超越していた。フォーク、カントリー、ロックンロール、そのほかの何もかもを超えていた。歌のなかに、もうひとつべつの曲がある。キーが何の脈絡もなくメジャーからマイナーに変移する。オービソンはわかっていてまじめにそれをやっている。青二才の若造がやっているのではない。ラジオではほかに彼のような歌を聞くことはなかった」

リッキー・ネルソンは「ハロー・メリー・ルー」や「ヤング・ワールド」他数多くのヒット曲を放った。そしてスランプが訪れる。1969年、リッキー・ネルソンはボブ・ディランの「シー・ビロングス・トゥ・ミー」を歌ってカムバックする。1985年、飛行機事故で他界した。45歳だった。

ロイ・オービソンは1964年、「オー・プリティ・ウーマン」がビルボード・シングル・チャートの1位になる。1988年、ロイ・オービソンとジョージ・ハリスン、エレクトリック・ライト・オーケストラのジェフ・リン、トム・ペティ、ボブ・ディランで覆面スーパーバンド「トラヴェリング・ウィルベリーズ」を結成する。アルバム「トラヴェリング・ウィルベリーズ」はビルボード・アルバム・チャートの最高位3位となり、ロイ・オービソンは20数年振りに第一線にカムバックする。しかし同年暮れ、心筋梗塞で52歳の生涯を閉じた。しかし「オー・プリティ・ウーマン」は2年後の1990年、ゲイリー・マーシャル監督の映画「プリティ・ウーマン」の主題歌となり、空前の大ヒットとなった。

リッキー・ネルソンリッキー・ネルソン
リッキー・ネルソン

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